現実と区別が付かない虚構というのがNHKのドラマ「クラインの壺」なら、はたしてビューティフル・ドリーマーはどうでしょう?
最後に、現実に帰還したと諸星あたるが信じた世界も、エンディングで「木造モルタル3階建ての校舎が2階しかない」ということで、やはり虚構だと示されています。
しかし、諸星あたるは現実に帰還したと思っています。
ですがよく考えれば、これは単にまだ気付いていないだけで、諸星あたるから見れば判定可能な虚構です。
様々な世界を遍歴する諸星あたるも虚構を虚構と見抜きます。
つまり、虚構はどこまで行ってもいくらリアルに作っても内部から判定可能なのだ、ということがこの映画ではないでしょうか?
虚構は永遠か? §
実はここまでが前半。
後半はここからです。
では、この判定可能な虚構はいかにして作り出されているのでしょうか?
夢邪鬼であり、エンディングに出てくるスタッフそのものの手によって、でしょう。
つまり、虚構は無限では無いわけです。作り手が作ることをやめた時点で、続かなくなります。世界は同じ日を永遠に繰り返している訳ではなく、繰り返しが終了する日がやってくるわけですね。そこで、永遠の繰り返しこそが虚構であると暴露されると言っても良いでしょう。
つまり本当の意味での「現実への帰還」とは、見ている者がLDボックスを押し入れに放り込んで、犬の散歩に出かけたときなのかも。
イノセンスでは §
ちなみに、人形遣いの家に行ってトグサが虚構と現実の区別に戸惑っている時に、バトーは何も疑いもなく区別を付けているわけで、やはり「現実と区別できない虚構などない」ということなのでしょう。たぶん。
あとがき §
以上は単なるメモだ。気にするなよ。中身もうかつに信じるなよ。